SFはなぜ面白いか。
最初にお断りするが、私はアカデミー賞も悪くわないだろうが、
文芸ものにやや偏る傾向に有るようで、好きになれない。
映画は小説ではないと思う。同じアカデミー賞でも監督、主演、助演賞以外を重視したい。
ではSFは現実に体験できない架空の世界をあたかも現実のようにその世界にトリップできる。
今流にいえばヴァーチャルな世界を体験できるからである。
従い、SF映画の出来、不出来は道具の出来、不出来がかなりものをいう。
この面で最高傑作は、「スターウオーズ」であろう。ロボット、宇宙船、の出来もあるが、
1番は宇宙船の中である。さらに重要なのは、効果音である。バックに流れる音楽、
これが効くのである。
映画はストーリーが大切という人が居るが、その人は多分技術に弱い人とだろうと思う。
逆に私のように技術系の人間は言葉を知らないため、情緒的な表現はNGである。
SF映画の重要度ファクターは

1:道具
背景を初めとしたリアリティーを実現させる、これがセコクとどんなにストーリーがよくても
うそ臭く、作品をつまらなくする。デザイナーの腕にかかっている。
細部にまで、技術的裏付けのあるこだわりが見られないとつまらない、
昔のSF作品を見ると、先ず分かるのが、計測器、宇宙服、である。今から見ると.....。
しかし、最近のものでも、テクノロジーを理解していないデザイナーはだめだ。
この、だめな例として、最近のアニメロボット、おもちゃ屋の作品の域を出ていない。

2:効果音
「スターウオーズ」「紀元2001年宇宙の旅」「スタートレック」 最近では「ウオーターワールド」、「スターゲート」
音が悪いと面白味は半減する。
この例としては日本のアニメがある。B級作品もいい音は聞かない。
ただし、「風の谷のナウシカ」に代表される宮崎アニメは手抜きが無い。

3:新たなシチュエーション
「ゴジラ」のマンネリもたいした物であるが 「なんでこうなるの!」、「どうなっているの!」
「何が出てくるの」 と見るものをハラハラさせるものでなければつまらない。
その意味で、2番煎じはおもしろさが半減するのである。
4:スター
スターがその場に溶け込んでいなければ、実在感がうすくなる。
したがって、無名の人のほうがいい場合がある。 逆に、「スタートレック」のメンバーは「水戸黄門」的に、
「新..」 ではどうしても、乗り越えられない。ということも有る。

5:驚き
それまでに見たことの無いような、シーンや、
話の展開、奥深い理念 信念のようなものが見えないと安っぽくなる。
2001年のようになると、理解できる人が少ない、2010年では やさしくしたのだが、
まだ、難解だと感じた人も多かったようだ。
しかし、そんなもんが何も無くても「スターウオーズ」は最高傑作である。

6:カメラ
忘れちゃならないカメラワーク 
SFではないが最近では、キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロックの「スピード」、
カメラワークでここまで魅了するかといった最高傑作である。
なを、ここでは、重要な映画を何本かは描いていない、もう少し待ってほしい。理由は、他に誰かが、
書いていると勝手に判断しているからである。それに、有名だから、誰か偉い人が、
たとえば「アカデミー賞」を獲ったからと言った理由では見てもらいたくないのであります。

追記1(97/8/5)
SF映画とSF小説
どちらが優れていると簡単には断言できない。
簡単に言えば、視覚、聴覚に訴える作品は映画が有利、但し、金をかけないと良いものが出来ないという
事実はどうしようもない!が。
苦手とするのは、独白はいまだ小説よりはるか下にある。
つまり心理描写は以前よりはかなりテクニック的にも向上してきたが、映像は外から見せるのは簡単なの
だが、内面をどう映像にするかがかなりむつかしい。かなりがんばっている作品でも、多くの場合見る者
によって、理解が異なり易いのである。
簡単な例でいえば、「2001年」の最後のシーン、批評家でさえ意見の分かれるところではある。
だが、逆に視覚、聴覚に訴える事にかけては、「百聞は一見にしかず」のとうり、見た状態を説明
するのはかなり困難である。
映画の解説はその意味で重要かもしれない。悪く言えば作者の気持ちが伝わりにくいのである。
娯楽超大作はそこら編をわきまえている、徹底して、視覚、聴覚に訴えるのである。
反対に、心理的な描写は極力すくなくするのである。
この関係か、近年のフランス映画はつまらない。
日本の映画はこの点でも、中途半端で結局衰退している。
香港はさすが国際都市、超娯楽作品に徹している。
だが、かって、日本の映画も、フランスの映画もすばらしい芸術といえる作品が結構多かった、
多分それは、一方で娯楽作品が興行収益を確実に上げていたからであろう。
TVがでて、映画が衰退したが、本質がTVと映画ではことなる。事は小説と比較するより
難しいかもしれないが....。
結論から、言えばそれぞれがそれぞれの特徴を持っているのであるから、どう共存するか
どう補完するかが、重要なのだと。

追記2 97/8/9 インターネット上でSF映画の批評を書いている物を少し読んでみた。
結論から言えば、観点が違うなーと感じたしだいである。
それから、本当に映画が好きなのだろうかと疑問に感じたりもした。
インディペンデス・ディは結構評判が悪い。神風特攻の酔っ払いのおじさんの
シーン、宇宙人の描き方が悪い、アメリカイズムがいかん等など。
CG以外はほとんどお褒めの言葉がない。
私はアメリカの映画だから大統領が強くて当然、コンピュータ技術屋がカッコ
よくて当たり前、飲んだくれのじいさんでも命をはって戦えばOK、
これが、反対に飲んだくれじいさんが死なずに、大統領が死ぬと映画のポイント
がずれる。
このの映画の主題は単純、単純が悪いと勘違いしてはいけない、複雑、木目細かな
情を描く事だけが需要ではない。主義、情なんてくそ食らえぐらいに見るべきである。
「戦うしかない」と判断しなければならないとしたら、である。
すべての事が入っていないといけないといった理論はない。
私は映画を完全なものとして見ているときはほとんどない。
いいたい事が一つあって、それをどこまで徹底的にやるかが評価ポイントになる。
よくある批評で、作品の出来、ストーリ、俳優、監督などの項目を挙げ総合での
ポイントを評価するケースが多いように思う。古きしきたりのようなアカデミー賞
が正しいとは思わない。本当にすごいものは本来評価できないのである。
評価される時点で、先進性、独創性は評価者のレベル程度という事ができる。
何年も経って始めて評価される、そんな作品に巡り合いたいものである。
映画では、フェリーニ、ベルイマン、黒沢の時代はよかったのかもしれないが、
商品としての映画では芸術は成り立たないのである。ただ、今の配給制度を
変えれば可能かも知れない。
音楽においても、最近は、作品でなく、商品が売れている。
という事は、見る方の人間がその程度なのである。
だから、良い商品を作ってくれれば、そして、ちょいとスパイスが効いていれば
最高なのである。と。
その、スパイス、味の違いが分かるのがツーではないだろうか?
ただ、わしの嫌いな味も当然ある。
ギャングものである、だからゴッド・ファーザーや日本のヤクザものは
みない。また、13の金曜日のようなオカルト物も嫌いである。
理由は暴力がいやなのと、義理人情が嫌いだからである。
13は最悪である。オーメン、ポルター・ガイストはまだ、理解できるが..。
また、最近のストーカー物、不倫物もその、描きかたがゆるせねー。
これらの中から、何か新しい考え方、方法といったものを見出す事は出来ない
からである。
マカロニウエスタンも当然のように消えていった。
消えていくにはそれなりの理由があるのである。
「虎さん」シリーズも私にはさっぱり理解が出来ない世界ではある。
「トラックヤロー」のほうがよほど私には評価が高いのである。
単順に分かりやすいからである。
話がずれてきたためとりあえず

追加:99/1/28
最近どうもストーリが尽きたのか?同じような映画が多い。
2匹目のドジョウ?シリーズものならまだしも、監督も、制作会社も違うのだが
同じような隕石衝突作品の多いこと!
しかも、ストーリが似ている。ヒット作品にあやかりたいのだろうが、
もう少し、こだわりを持って欲しい、さらに、SF好きで有って欲しい。
また、最近の作品はSFのScience(科学)の部分が弱い。
「禁断の惑星」初め古典のSFはチャントSが基本になっていた。
それが、商売がその方がいいのか見せ物的要素に偏って来ているように思う。
哲学的なものや、反戦的、問題提起、未知のものものへの対処、など
SFは純文学より遙かに難しい問題提起が出来る場所のはずである。
現にそんな作品も多いが、最近は??である。コレでは印象が薄い。
寂しい限りである。
コレは見る側にも問題がある。マスコミに弱い。弱すぎる。
至らなくても、自分で考える事が重要で、100億の反対が有っても、自分は
こう思う、と言えるくらいまでになって欲しいものである。
新しい問題は
環境ホルモン、DNA操作、火星改造計画、エネルギー問題、森林破壊
砂漠化、温暖化、異常気象、海底潮流、絶滅動物、都市化、情報化、
ネットワーク社会、パソコン社会、過剰生産社会、臓器移植、オゾン破壊
などなど
提言としては科学者を助監督にするべきかもしれない。
その意味で「コンタクト」は素晴らしい作品である。この作品の悪評に神の話が
出てくるがコレがいけないと言う。笑ってしまう。神=大自然の想像主でキリスト
や釈迦、マホメットでもないし、宗教でもない。
この自然を作りし主に対して畏敬の念を持つべきであり、持たざるをえないはずである。
難しい映画を平易に描く事も重要なのではナイだろうか?
まだまだ、作るべき映画は無制限にあるはずである。