エンド・オブ・ザ・ワールド
オーストラリアの映画でビデオでしか出ていないようだ。
映画は「渚にて」をリメークしたものだが、元の物より詳細が描かれている。
時代は米ソの冷戦時代が終わっているので、なぜか台湾と中国が戦争する事になっていて
アメリカも参戦し、結果、北半球が放射能に汚染されてしまう。
その中で、一隻の原子力潜水艦がオーストラリアに向かう。
ここら辺の、設定はやはり無理がある。なぜ一隻だけなのか??
ま、話の中心はそんな事でないから....だろうが...。
放射能汚染が、徐々に南半球にも及んでくるところから考えればいい。
メルボルンに着いて、助かる見込みがあるのかドウカで議論されるが...
北半半球のどこからか、メールが送られてくる...と。
そこで、確認のため、タワーズ艦長率いる原潜が再び、北上。
そのとき、助からないと公言していたオズボーン・ジュリアン博士も同乗した。
途中、途中で放射能を測定するため、ブイを海上に上げ、測定した。
目的地がアラスカのアンカレッジだと分かる、その後の測定で放射能が安全レベルまで
減っていた。そして、アンカレッジに到着、しかし、放射能は危険な状態だった。
なぜ?メールが送られてくるのだろう??
船長と副官が発信されている放送局に向かう。
そこで、見つけた物は....女性アナウンサーの死体だった。ではなぜ?
答えはすぐ分かった。太陽電池がパソコンを起動させていたのだ。
そして、彼女の最後のメッセージが異国にいる彼氏に送られていたのだ。
それを、一部しか受け取れないための淡い期待だったのだ。
「渚にて」は時代だね、アマチュア無線の電信だった。この電信が窓の巻き上げ式の
ブラインドのひもに結ばれていて、風により、いい加減な信号を発信していた。
この点はかなり違いがみられる。また北上する理由として北極のオゾンホールが
破壊されオゾンホールが大きくなり、そこから、放射のが宇宙に拡散さて、北極近辺
の放射のが薄くなっていると....言う理屈を言う博士が居たからである。
結果は人類絶滅の方向に...
最後は誰と死ぬかで、人生ドラマがここにある。
このところは見てください。映画としてはここが中心!
全体的に見ると、元の物より良くできているし、生活しながら迫り来る見えない恐怖と
戦う姿の描写も文句が付けられないが...どこか迫力がない。
やはり、時代が違うからだろうか?
ただ、いえるのは、時代を超えて、共通なのは、死に直面してどう生きるかなのだ。
あなたは、考えたことありますか?
わしは「渚にて」を見たときに答えは出しました。やれる所までやろうと...。