雨上がりの駅(伊99)
残念ながら詳細は不明。ビデオやで気になったので手にとった作品。
監督のせいとはいえない、イタリア独特のやや廃退的な雰囲気のあるが自然の空気を漂わせている。
アメリカ映画を見慣れたものにはテンポも違いやや慣れが必要とする。そのため時々停止し生き抜き。
ストーリーがまた、よくわからんのだ。どうも、徘徊癖のある父を持った家族がいったい、いつも何処に
行っているのかを調査してほしいと、コラと言う少女、と言っても19歳でどこかふてくされた子である。
が、スタイルはイイし美人だから、ヒッチハイクよろしく、指をあげると大概止まってくれる。
老人は、ただ、あてどもなく歩いて時々旅行バッグの中から何かをとりだし、何かをしている。
カメラアングルは少女からだから、遠くよくわからん。
時には、バスに乗って....。
しかし、3度目の尾行の時、老人はローマの駅から汽車に乗った。
あわてて、コラも乗るが....何処に行くのか.....途中田舎の駅におり...なにする出もなく
...また、別の駅で切符を買うとき、汽車は何時に出るのか見てくれと...ついでに自分の切符も
老人に払わせローマーに引き返す様にだまして汽車に乗ったが....
老人は途中で気が付き、途中下車、しかも駅すらない所で...あわてたコラも降り....たが
路に迷い、雨が降ってきたので、近くにあった屋内テニスコートで一夜を過ごし....
ヒッチし駅に...
汽車に乗っているときに老人がウトウトした、すきに何かを書いていたノートを見る。
そこに、書いてあることは、自分の住所、今日忘れなかった事、娘の夫の名は忘れたこと
中に、写真が..昨夜、寝たテニスコートでコラの寝ている写真である。老人が目覚めたので
写真は自分のバッグに...。老人は元、言語学の教授だとわかる。
乗り換えの駅で待っているときに、なぜか、家具展示場のバスに乗る。
追いかけ展示場に行き、そこで営業マンと本棚の話をしている。
コラがやめさせると、老人は隅のベッドで寝るしたく...目的地に行くのは?昔の恋人に
会いに行くことは?と聞くが忘れてしまっている。コラは悲しくなり、先ほどの営業マンの家に
行き、Hして...一人帰る...が...駅まで載せてもらった女性の工場に行きたいと..
でも入れてもらえなく....なにを思ったか、川に身投げ....助けてもらって...
駅に......ただ、時間を過ごし....夜になり...人も居なくなり....一時激しく
降った雨もあがり....すると、夜の汽車からあの老人が降りてき...向かいのベンチに
少女はなぜか嬉しくなりほほえんだ....で終わる。
記述は難しい、だいたい言葉が少ないし、なぜが多すぎるが、その説明がない。
カメラもただ、自然観察的に被写体に向いているだけ。
だから、監督はこの映画でなにを言おうとは思っていないようにも見えるが...
たぶん、生きる喜びを淡々と見せているのかもしれない。
威厳のあったはずの教授の淡々とした、徘徊..そこで、いろいろなものを忘れていくにも
関わらず....、反対に少女はいきずりの生活、生き甲斐なんかなにもない、
その象徴がたばこかもしれない、チョット吸っては...そしていつも何か禁断症状的で..すてる。
男とも、昔の男と寝たり、販売員と寝たり...でも妊娠しているようでもある。
そんな、生き方でもつまり片意地張った生き方出なくとも....人生、特別に素晴らしいことが無くても
大きな目的なんか無くても...生きていればイイじゃないかと言っているようにも思える。
あなたには、どう写るのだろうか?


プライベト・ライアン(98)
スピルバーグ製作、監督の戦争映画である。
地味な作品かと思ったが、出だしがスゴイ、ロンゲスト・ディの所から始まり、しかも最悪のオマハ・ビーチ
ストーリーは見てもらえば分かる通りで、特別な感じはしない。
さすがと思わせるのは、海面すれすれの撮影、この場合迫力と言うべきでなく、剰りのリアリティで自分も
その残酷な、しかも、待ったなしの戦場に入ったかのようで、思わず身をすくめてしまう。
カメラは伏せている兵士の目線にある!石っころが転げ落ちるのも手に取るようである。
戦闘が終わっての海岸の残酷な情景は目を覆いたくなるを越えて、呆然と見てしまう。
生き残った兵士も皆そうであるように.....。
最初に、戦争の非常さ、しかし、誰かが何とかしなくてはいけない!
その後、ライアン救出作戦がミラー大尉に伝えられ、部下を7人連れ、敵の真っ直中に赴く。
当然、いろんな戦場での話があるが、その一人一人の表情、言葉、仕草が実に丁寧に作られていて
ここでも、見る者を彼らの傍らに居るようにさせる。
そして、どこでもカメラの目線は兵隊達と同じである。
撃たれた仲間を見るシーンでもカメラは仲間の兵隊の一人の様に撮す。
死に行く者の息がハアハアとついには途切れるのが自分の目の前の情景として見てしまう。
それが、よけい悲しさと、怒りと、どうしょうもなさと、を脳裏に刻み込む。
戦争での、死はあまりにもなにもない。
子供を助け撃たれたカパーゾ二等兵が雨の中で死んなが、ここでも、雨のしぶきが
よけいに悲しさをよんでくる。しかも、雨が降る廃墟と化した町の路上に毛布をかぶせられた
だけのお別れ。
ライアンをついに見つけるが、彼は仲間を置いては帰れないと。
しかも、そこには、絶対死守しなければならない橋が残っていた。
しばらくの問答も、自分ならどうすると問いかけているようである。
結局は救出部隊全員がライアン他二人計三人が守る、橋を援軍が来るまで共に
守ることにする。
ここでも、戦車を迎え撃つ火力が無いのに、くっつき爆弾を作り、応戦する事に、
しかし、この戦闘はすさまじいモノになってしまう。
敵ドイツ兵は50名+タィガー戦車3両、装甲車3両(正確ではない)、を向こうに
わずか、3+6名での戦い。大尉の指示は的確!
ここら編は戦争アクションらしい撮り方で、なんかサッカー試合を見ているようでもある。
そこら辺が、スピルバーグの腕!
ここら辺は、もっと残酷にと思う人もいるかもしれないが、実際の戦闘では、そんな
悠長な考えをしている暇はない!!
ゲーム的なが現実の戦場なのではないだろうか?
が一人居た!スピルバーグは分かっているのだ。
通訳のアパム伍長である。彼は元々戦闘経験がないが、通訳が必要でむりやり
つれてきた男である。彼の腰抜けの描き方も鋭い。
その腰抜けさで戦友を二人死なせてしまう。
最後は、危機一髪と言いたいが....、
戦争を終えて現代。墓地にリアン家族と共にいる。
「私は言われる通りに一生懸命生きてきました」と老いたライアンは報告した。
映画のエンディング曲が葬送行進曲のようでジーンと今までのシーンを思い起こさせてくれる。
最後まで見るべきであろう。
心に、大きな感動と決意が沸いてくるように感ずるはずである。
しかし、なぜ今も愚か者の為政者によりあちこちで戦争があるのはなぜなんだろう?
一人一人が考える事が、救いの一歩であると...スピルバーグは言っているようでもある。