もののけ姫
こまった....。
この映画が何故こんなにヒットしたのだろうか?
それが、分からない。
少しは、理解したのだろうか?何度、見ても、見れば見るほどに分からなくなる。
若者がこの映画の気持ちが分かるなら、日本の未来は若草色だ!
KEYワードは「生きろ」、「生きる」なのだが....。
生きることの困難さ、苦しさ、つらさ、を描いている、矛盾もなんの解決もなく描いている。
天才と言われるだけの事を宮崎 駿はここでやっている。
たぶん、分かっていてやっているのだろう。
生きることは矛盾だらけ、と言うより、今まであった理想がいい加減なのだが。
しかし、その矛盾を少しでも解きほぐしていくため、生きなければならない。
戦いは既に過去の物となろうとしている、
なぜなら、戦いは単純で勝ち負けが分かりやすいが、もはや、この愚かな仕業より、
もっと大変な、そして辛く辛抱が必要な共存、平和を作り上げなければならない。
平和は安らか、穏やかな物ではない事は、みんな薄々感じていることではある。
また、死とは悲しい事かもしれないが、悲しみと共にとどまる訳にはいかない。

生と死は別物ではない事も、ここでは示している。

恨み、怨念を持った、猪神(タタリ神になる)。
その怨念を腕にあざとなりそれを癒すため、シシ神に会いに行くアシタカ。
アシタカはまるで修行僧の様でもある。
理知的で、クールで、明晰なエボシ御前、
彼女は、かっての西欧文明の先兵のような感性がある。自然は征服するもの、相対する物といった。
狼でサン(もののけ姫)の母親代わりのモロの君。山、森を守ろうと時々ゲリラの様に
人を襲う。狼達は自然と人間の中間に位置する様な感覚か?
タタリ神になったナゴの守の仇を撃つために遙か海を越え多くの仲間を引き連れ最後の一戦を
戦うべくやってきた乙事主。彼も人との戦いに破れてタタリ神になる。
この、猪たちの攻撃は、自然の脅威としての台風、地震、火山活動のようでもある。
シシ神はなにも言わないが、最後が怖いディタラボッチとして山の生命を全部吸い取り巨大な
死に神となり、人を襲う様は山崩れ、土砂崩れ、土石流、山津並の様相がある。
また、自然災害はなにも残さない様に思うが実際このアニメのように新しく芽ががでるのである。
たとえ、山火事でも...。

ただ、この映画では明確にどちらが良い悪いは示していない。
示す事は出来ないことを監督は分かっているらしい。
だから、見終わってもすっきりしない。
一応リップサービス的に「共に生きよう」「もう一度住み良い所を作ろう」と.....。
すっきりしないのが生きる事の難しさではあるが、目標はある。

映画の作りとしては、「風の谷のナウシカ」のリメーク的感があるが、主人公が男の子である設定としては
「天空の城ラピュタ」風でもある。また、山は「トトロ」、人と獣の戦いとしては「平成合戦ぽんぽこ」
これらのミックスブレンド的な作りではあるが、
今までと決定的に違うのは、風が無い!
監督にとっては風は自然を描く道具なのだが、
ここでは、死にかける、また、何かが起きそうな不気味さを表現する為か風は吹かない。
この、風が吹かないのは確かに重々しい空気を描写するに成功している。
ただ、吹かないだけでなく、煙がやんわりと立ち上がる描写、霞に映える木漏れ日の情景
も静けさを描写するに凄い威力がある。
だから、戦いはより壮絶な物に映る。また、データラボッチ、タタリ神の動きも際立つ!
静と動、生と死、良い対比である。
今までの宮崎アニメで一番分かりにくいが、敢えてそうしているのだろう。
ナウシカ、ラピュタの様に白黒はっきり出来ないのが現実でそこに生きなければならないのを
そのまま、描いたのだろう。
やっぱり宮崎 駿は天才。でもみんな分かったのかな?
主人公のアシタカは宮崎 駿の気持ちを反映した、明日につながる希望かもしれない。